「夜は更け、日は近づいた」 07.11.18
ローマの手紙13:11〜14
聖書の世界では、一日は日暮れから始まります。夜から始まり、
終わりは美しい夕焼けの頃になります。最後に夜が来るのでは
ありません。神さまは、ものごとをそのように考えておられます。
「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。 …夜は
更け、日は近づいた。」と御言葉は語りかけてきます。私たちは、
闇が広がっているような世界の現実を目の当たりにします。
欲望に支配され、欲望のままに生きている姿。敵意を持って争う、
愛のない姿。そんな、人間の罪から生まれる闇の行いが溢れ、
光を失った真夜中の世界を見ます。欲望と敵意は、世界に影響を
与えるだけでなく、一人一人の人生に闇を生み出します。日本に
おいても、世界においても、真夜中、夜が更けているとしか思えない
ことがあります。
しかし、聖書は、「日が近づいた」と言うのです。夜明けがある、
いや近づいていると言うのです。いったい、どうしてそんなことが
言えるのでしょうか。
この世界は、ただの闇ではなく十字架が立てられた世界である
からです。この世界に、神の独り子、主イエスはおいでになりました。
主イエスは、この世の闇の深さに腹を立てて、この世から立ち去って
いかれたのではありません。世の闇の深さを見抜いておられた主イエスは、
罪を赦し取り除くための十字架に進んでいかれました。そのように、
神さまはこの世に十字架をお立てになったのです。それは、神さまが
この世を愛しておられ、この世の闇を取り除き、この世をご自分の愛の
光で満たしたいと願っておられたからです。従って、この世界は、
神さまに見捨てられた世界などではありません。夜明けがある世界です。
私たちの周りにどんなに闇が広がっているように見えたとしても、
この十字架の出来事を見失ってはなりません。
もしも闇の深さを感じる時には、十字架をじっと見つめるべきです。
そこで、神さまの愛に支えられるでしょう。
闇に耐え、そして立つ力も与えられるでしょう。
それが私たち信仰者のこの世の歩み方です。